あれはたぶん私がまだ小学高学年か中学生だったころ。
小さいころからずっと犬が飼いたくて、ペットはあまり飼いたくないと思っている両親にたぶんしつこくお願いしたんだと思います。すると、両親がしぶしぶ近所の人から柴犬を借りてきて、「じゃあ試しに1日世話をしてみなさい」と。
でも、動物にほとんど触れたことがない私は全く近づくことすらできず、「ほら、(あなたには)やっぱりできないでしょ」という感じであっけなくチャンスを逃してしまいました。
それ以来、私は自分がダメだから動物の世話もできないんだ、動物が苦手なんだ、と思いこんでいましたが、最近初めて保護犬をうちに迎えて世話をするうちに、「あ、やっぱり動物が好きだったんだ」という気持ちがよみがえってきました。
うちの子供たちを見ていて思ったんですが、どんなに動物が好きでも、小中学生では世話をするのにやっぱり親の手助けが必要だということ。犬が発しているボディーランゲージを感じ取れなくて小さなサインを見逃したり、遊びがエスカレートして乱暴になってしまったり。その都度、間に入り、人も犬もいっしょに学ぶ、ということの繰り返しです。
今思えば、両親は私がうまくできないことを前提に犬を借りてきて、アドバイスを全くすることなく、意図的に犬を飼わずに済むようにしたということです。私が自分で「できなかった」と思えばあきらめるだろうと。
でも、親になってから思うのは、その「できなかった」という体験は、子供にとっては良かったのだろうか、ということ。子供時代に「やっぱりダメだね」と言われることが多かったように思うので、私は成功体験よりも失敗体験のほうが遥かに多かったと思います。
いま大人になって子供たちを育てる中で感じるのは、「できない」という場面でもちょっとした手助けで「できた」となることがとても多いこと。確かに、忙しい日々、いつもいいタイミングで手助けなんでできませんが、時々、できる範囲で。完全にできなくても、「さっきよりはマシ」でもいいのかな、と思います。
子供も大人も、できないことをどうにかできるようにしようと試行錯誤することで一緒に成長していったらいいんじゃないかと。
子供は皆そうかもしれませんが、親の言うことを信じたいんですよね。ダメだと言われれば、「あ、やっぱり自分が悪いのか」と。逆に、できたね、と褒められれば、自分は認められているんだ、と。親が子供に与える影響って本当に大きいです。
私は大人になってからですが、日々のわずかな「できた」という体験を大事にして、少しずつ自己肯定感を取り戻しているところです。
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