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はじめに

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このブログはハッピーを求める私の気ままなお話です。夫はアメリカ人、長女・次女は日本生まれ、長男はドイツ生まれ。
英語があまり得意ではなかった私ですが、海外生活をそれなりに送り、子供たちの日米バイリンガルを目指しています。
もっと力を抜いてゆる~く生きていきたいという思いとは裏腹に、いつも何かしなきゃと余裕なし。半人前の私の日々の出来事をつづっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

2022年9月9日金曜日

ギフテッドの子育ては特別?

 うちの子供たちのうち、長女と長男はアメリカの学校でギフテッドの認定を受けています。

日本でも政府がギフテッドの支援を始めるということで、ギフテッドという言葉が前よりも聞かれるようになったと思います。

自分の子がギフテッドかも、と思ったときにやるべきこと、どう見分けるか、ギフテッド=学校に馴染めない、とかいう記事を最近よく見かけるんですが、本当にそんなに気を張って子供を観察しなければいけないのかなーと若干疑問に感じたので、ちょっと書いてみようと思います。

うちの場合(アメリカ編)

長女は今年から公立の高校に通い始めました。初年度はAPクラスという大学入学にも有利なクラスがまだないので、Honorsという上級クラスに入っていますが、つまらないといいながらもそれなりに過ごしているようです。まあ、この「つまらない」というのは、特にギフテッドだから頭が良すぎてつまらない、というわけでもなく、思春期特有の問題だと思います。宿題の出し忘れもあるし、反抗期だってあります。成績がガタ落ちしたときもあれば、オールAで表彰されたときもありました。コロナを期に、うちの子供たち全員を私立校に転入させたんですが、コロナの制限が緩和されたのをきっかけに親友が公立校に戻るということで、長女の意思を尊重して結局公立校に再入学しました。

長男は小規模の私立校で1学年飛び級して小学4年生として学校に通っています。かなり社交的なので公立校でも十分馴染んでいたんですが、コロナを期に自宅学習を始めたら1学年上のことまで終わってしまったので、前から興味のあった私立校に転校した、というわけです。この学校でも「人気者」という感じでうまくやっているようです。2学年くらい上の子たちと仲良くやっています。

アメリカのギフテッド教育はそんなに進んでる?

日本の記事を読むと、アメリカではギフテッド教育がずいぶん進んでいるように書かれていますが、実際は場所・各学校によりかなり差があると感じます。

うちの公立の学区では一応ギフテッドのプログラムとしてありますが、学区の質が良くないのでうまく機能していないように感じます。特に長女が前に通っていた中学は若干荒れていて、学校を銃で襲撃するといううわさが流れたり、地元のニュースになるほどの校内での喧嘩(圧倒的に女子が多い)があったり、TikTokのチャレンジを真似てトイレが破壊されて使えなくなったりで、ギフテッドどころか普通クラスもまともに管理されていないという状況でした。

学区の日本でいえば教育委員会のような役割をしている機関のホームページからアクセスできる、プログラムに関した説明には様々な特別課題が組み込まれているように書かれていますが、実際には小学校の数年間に少しだけプログラミングなどの別枠の授業があるだけです。

ここテキサスだと、成績上位5%くらいの子供たちがギフテッドとされますが、日本だとなんだか超天才児だけのことを指しているようで、さらに「特殊な子供」というイメージを増しているような気もします。でも、5%なら各校に結構な人数いることになりますね。

ギフテッドの子を持つ親として感じること。

ギフテッドの長女と長男、ギフテッドには入っていない次女、それぞれに好みや得意なこと、苦手なことがあり、性格も違い、他の子供と比較して「特別」と感じたこともなく、自分にとっては我が子としてそれぞれにかけがえのない「特別」な存在だなーと思うだけです。

ギフテッドではない次女は、一般的に言う「平均的な子ども」ですが、コロナで遠隔学習になり、公立校の学習方針にストレスを感じてか、課題をこなすのが苦痛になってきていました。それが、私立校に編入してからは学校であったことを毎日楽しそうに話し、学業面でも表彰され、伸び伸びとやっています。

また、ギフテッドの長女・長男は、それぞれに自分の居場所を見つけ、それなりに思い通りにいかないことも経験しながら心身ともに成長していってると思います。

私が思うのは、親として、どんな子供にしても、それぞれの子供たちがどう学んでいきたいのか、何をしたいのか、どんな環境にいたいのかに寄り添っていけたらいいのかなーということです。結構ゆる~く放っておいても、子供たちは勝手に大きくなっていってます。親が選択したことが子供にとっては「間違っていた」ということもあると心に留めておくのも大事かと思います。

成績表も一応確認しますが、悪かったとしてもうちでは自己責任ということで、本人たちにはそれをどう受け止めるのか、またどうしたいのか、と問いかけるだけです。まあ、本音はイラっとすることもありますが、本人はすでに分かっていることなので、後になって親がどうこう言うことでもないなーという感じです。自分の経験談としては、正座で2時間もお説教をされたことはありますが、苦痛だったという記憶だけで内容はほとんど覚えていないというのが現実です。反面教師として、マイナス面はさらっと流し、その代わり、本人たちが自分で努力して結果が出た、と感じていることに関してはできる限りしっかり褒めて共感するようにしています。

先日子供たちに、「ママ、宿題やらなかったりしてもお仕置きしないでくれてありがとねー」と言われました。私がズボラだということもあるんですが、どうやらお友達の中にはお仕置きやお手伝いが課されるおうちもあるようです。「あんたたちが宿題しなくてもママの人生には響かないからね~。ただし、自分たちの人生に響くってのは知ってるよね?」というと、「分かってるよ~」とのかるーい返しが。

結論としては、我が家ではただ一般的な子育てを特別なこともなく親も学びながらやっているというだけです。ギフテッドでもそうでなくても、また環境が整っているにしろ限られているにしろ、それぞれの子供たちに今ある中でできる限りの選択肢を与えてあげられたらいいのかなーと思います。選択するのは本人たちであり、親や周りの大人はそれを柔軟に支えてあげられられる若干緩いくらいのスタンスが良いのではないでしょうか。

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